「グローバルじゃねえよ」

教師に復帰2年目、専攻科の授業を入れると高校2校を担当して昔の勘が戻ってきた。しかし、依然4時間連続の授業は疲れる。

「おとな塾」のセミナーや、塾の授業は聞いてやろうと言う姿勢があり、あまり疲れない。寝ている者を起こし、しゃべる者に注意をしながら授業の進路は確保しなければならない。

 

去年、私のフェイスブックを読んでいただいている先生に「先生フェイスブックに書いている内容と学校に居る先生の姿はギャップがありますよ。」と言われたことがある。こんなことではいけないと今年は緊張して臨んでいる。

 

およそ教育は将来の国を背負う人材を育てるためにあると思う。授業は自分に迎合し、よく言うことを聞く人間に育てているのではない。しかし、学ぶ姿勢がなければ改めてもらうしかない。どのようにしたら、現代の高校生に通じるのか悩ましいところだ。

 

西郷隆盛曰く

「人間がその知恵を働かせるということは、
国家や社会のためである。
だがそこには人間としての
「道」がなければならない。
電信を設け、鉄道を敷き、
蒸気仕掛けの機械を造る。
こういうことは、たしかに耳目を驚かせる。
しかし、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、
といった必要の根本を見極めておかなければ、
いたずらに開発のための開発に
追い込まわされることになる。
まして、みだりに外国の盛大を羨んで、
利害損得を論じ、
家屋の構造から玩具にいたるまで、
いちいち外国の真似をして、
贅沢の風潮を生じさせ、財産を浪費すれば、
国力は疲弊してしまう。
それのみならず、人の心も軽薄に流れ、
結局は日本そのものが滅んでしまうだろう。」

 

グローバルと叫ぶ今の社会が忘れてはならない言葉だ。教育の意義はまさしく「人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。だがそこには人間としての「道」がなければならない。」のとおりである。

高山曜三