「二宮金次郎」

数年前、知人から昔の二宮金次郎像を頂いた。

「100年くらい前の陶器でできているもので、すぐ壊れるかもしれませんけど、庭に立っていますので、よかったらひもろぎ苑に」と頂いた。
二宮金次郎は、ご存知の通り「二宮尊徳」のことである。江戸時代後期の農政家・思想家で、通称は金治郎(きんじろう)である。「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した人物である。

 

一昔前までは、どこの小学校の校庭にも建てられていたものだ。これは、、最初の国定教科書である「尋常小学修身書」に「孝行・勤勉・学問・自営」を象徴する人物として、二宮金次郎が描かれ、尋常小学校の唱歌には「柴刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」と歌われたためであろう。

 

昨今、めっきり「二宮金次郎」像を見なくなった。教育方針の違いで市教育委員会が補修をしなくなり、危険なので撤去。歩き読みは危険だから、戦争時の教育を思い起こさせるから、などという理由がwebで紹介されていた。

 

いつの間に、日本という国はこんなに尊大な醜い人間ばかりになったのか。阪神大震災も東日本大震災でも、日本の秩序や道徳観、倫理観に世界が驚嘆した。世界に誇るべき日本の道徳観・倫理観は「二宮金次郎」に代表される姿なのだと思う。

 

二宮尊徳の名言は数多くある。中でも腑に落ちる言葉を紹介したい。

「生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んで仏なのだろう。生きてサバの魚が、死んでカツオになる道理はない。林にあるときはマツで、切ったらスギになるという木はない。だから生前から仏であって、死んで仏になり、生前から神であって、死んで神なのだ。」

高山曜三