「砥 石」

40年も昔、いつも「松陰先生は~と仰った」が口癖の先生がいた。当時は、吉田松陰の話は退屈で仕方なかった。でも先生が一生懸命話すので、聞いたふりをしているはなはだ無礼な学生であった。そして話の最後には「あなたも松陰先生を学びなさい。」と言われた。大学卒業後、聞けば教授は吉田松陰の研究で著名な研究者であった。

 

今この年になって改めて吉田松陰の「覚悟」を学ばなければと痛切に思う。学生の時は、先生の言葉が心に届かない愚か者であった。


「世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。」

 

こうした思いに至る「覚悟」を身につけるには日日どのように生活すれば良いのか。自分を磨き続けるには「砥石(といし)」が必要だ。その砥石は私にとっては教育のであるとつくづく思う。昨年17年ぶりに現場に復帰して高校生を向き合い1年間自分の未熟さと戦った。今年も彼らと向き合っている。高校生と向き合うことは少々粗めの砥石だが今の自分には充分だ。

 

「耳中(じちゅう)、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、わずかにこれ徳を進め行いを修るの砥石(しせき)なり。」
(訳:絶えず、不愉快な忠告を耳にし、思い通りにならない出来事をかかえてこそ、自分を向上させることができる。)と「菜根譚」にある。

 

高山曜三