「友達」

新学期になると必ず友達関係に悩んで学校へ行きたくない。と言っている。などの相談が塾にもたらされる。小学生から中学生、果てには社会人でも人間関係には悩む。

ある程度の年齢になれば、自分の特性を知るから無理な付き合いはしないから傷つかない。子供らが一番陥りやすいのが、自分と友達は一緒だと思い話しているうちに違うことが分かり、少なからずショックを受け「あの子とはあわない」「うらぎられた」となる。精一杯自分を良く見せようとして、それを否定されるのであるからまあショックなのだろう。

私はいつも子供たちには、「自分とは違うということを知ることが友達への第1歩だよ。」と言う。人と違うことが分かると言うことは、自分のことが少しわかると言うこと。傷つきながら、反省しながら自分を理解して大人になっていく。

孟子は、「孟子曰く、長を挟(さしはさ)まず、貴を挟(さしはさ)まず、兄弟を挟(さしはさ)まずして友とす。友とはその徳を友とするなり。以て挟(さしはさ)むこと有るべからず。」

意味: ( 友と交わるには、相手が自分より年長者であること、自己が富貴であること、自己の兄弟が勢力者であることなどを、一切心に置かずに交わるべきである。友と言うのはその人の徳を友とするので、もしこのような世俗の条件が心にあれば、徳を友とすることはできず、真の交友とはいえない。)

「その人徳を友とする」という意味はなるほどとは思うけど、「徳」を感じれるほど、私に「徳」があるのかと考えてしまう。同じようなことを吉田松陰も言っている。
「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

結構厳しい言葉だ。私はまだまだ。
と思っていると、いつも私の相手をしてくれる50年来の幼馴染の顔が目に浮かんだ。彼に感謝だ。

高山曜三