「幸せな貧乏」

「幸せな貧乏」

28日の日曜日は実に不思議な、幸せな研修旅行を体験した。参加の皆さんの心の広さに支えられての研修旅行は、旅行そのものより、心地よい時間を過ごせた。皆さんに心から感謝いたします。幹事さん。ぜひ次もミステリアスな研修旅行を計画してください。

あるブログにこんなことが書いてあった。
「日本では世帯の年間所得が200万円以下だと「貧困」に類別されます。
一方世界に目を向けると、家族1人あたりが1日1ドル以下で生活している世帯(5人家族なら、年収でおよそ1800ドル以下)の数は、およそ12億人で世界人口(68億人)の約17%います。さらに1日2ドル(240円)以下の生活者になると、世界の約半数(30億人)にまで増えると算定されています。
1日200円程度しか収入のない家庭環境に生まれた子どもは、どれだけ個人的努力を積み重ねても、どれほど才能があっても、親と同じ境遇から逃れることは事実上不可能です。その意味で、これを「絶対的貧困」といいます
したがって、日本における一世帯年収200万円の経済状況は「絶対的貧困」に該当しません。」

明治期、「日本には貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」のB・Hチェンバレンが言ったと何かの本で読んだ。ただお金がなくて貧しいが、多くの幸せを感じる生き方ができる価値観を持った人が多くいた江戸、明治期と比べ、お金の事で精一杯で、幸せを見いだすことのできなくなった現代。これを「貧困」と言うのだろう。と私は思う。

20数年間「ひもろぎ苑」の維持にお金をかけてきた。家計は火の車。貧乏だった。しかし、それなりに幸せだった。職を辞した今、さらにお金はない。毎日どうすればお金が儲かるかも考える。同時に、どうしたらみんなで幸せになれるかも考える。そんな自分は「貧乏」だけど「貧困」ではないと思う。