「すったもんだ」

国会が閉会した。テレビを見ていると、プラカードを持って抗議している野党の政治家が映し出される。テレビのインタビューでは仕込みの人が、素人然としてインタビューに答え、同じく大学の運動家たちが、自然に発生したと言わんばかりにデモをしている。

どのような意見を持っていたとしても自由である。しかし、テレビに映ることを想定した、政治家のパフォーマンス。運動家であることを承知で話をさせているマスメディア。それらの行為を見るのは辟易する。「万世のために太平を開く」という気概がある政治家を見たいものだ。

安岡正篤は、政治に携わる者の心得として、「任怨(にんえん)」「謙譲」であると言った。
「任怨」とは、あえて怨(うら)みを引き受ける。という意味である。政治に携わる者は、八方美人で、いい人でいようとしていては、百年の計に立った政策などは実行できない。政策は、自分が正しいと判断したら体を張ってやるものである。しかし、「任怨」だけでは独善に陥りやすい。
そこで、一方に「謙譲」が必要となる。「謙譲」とは「自ら靖(やす)んじ、自ら献(けん)ずる」という姿勢である。内面的には良心の安らかさで満足し、外に発しては人のために自己を捧げるという姿勢。まさしく「謙譲」である。

教育に置き換えれば、王陽明の言葉をかみしめたい。「山中の賊を破るは易(や)く、心中の賊を破るは難(かた)し。」すなわち、自分を滅ぼすのは自分である。自分の中に敵はある。外に敵を求めて、人の責任にしても最後は自分に帰ってくる。

まず自分を修めなければならない。これが、「修身」であり、「道徳」である。

学校教育で「知」「徳」「体」を学んだはず。
まさしく「恥」「得」「怠」を学んだ政治家の皆さんだから、
醜(みにく)いすったもんだが国会の中と外で繰り広げられるのだろう