「専門家」か「端くれ」か

朝の読書はここ数日いただいた森信三先生の本を読んでいる。今日はこんな言葉に出会った。
「人生の生き方については何人もアマチュアであって、この点で「専門家」と称しうる人はないはずです。然るに世間で宗教家と呼ばれている人々の多くは、宗教に関する話などによって自分も衣食を支えられていることも忘れて、さも「人生の専門家」ででもあるかに考えているらしいのは、まことに笑止というほかないですよ。」
「生き方については何人もアマチュア」なるほどその通りである。私のような浅学の人間にはこの言葉は少し心が楽になる。もとより「専門家」という言葉でもどの程度を「専門家」と言えるのかわからないが、人からは教師をやっていた、塾をやっているなどから「教育の専門家」と見られ、「先生」と呼ばれている。心苦しい限りであるが、なんとかその責任を果たそうと試行錯誤している。
知識を持っているだけを「専門家」と呼ぶ傾向にある。その知識を自分の食いぶちにしているだけでは専門家にはなれない気がする。それがどこかで多くの人の必要とするところにならなければならないと思う。最初にこれだけの知識を知ったら専門家ですよという風潮があるが、知識を実践で鍛えて、少しはお役にたてるところまで行って「専門家」と呼ばれて良いのだろう。
だから、まだまだ「端くれ」にすぎない。