「畏怖」

昨日は、74年目となる「終戦日」であった。私は靖国神社で毅然と演説をされていた故小野田寛郎氏を思い出す。

小野田さんの講演やNHKのドキュメンタリーなどユーチューブでずいぶん見た。本も読んだ。そんな時いつも思うことは、日本人とはこういう人の事を言うのだろう。私などはとても似非(エセ)日本人だな。といつも恥ずかしくなった。
小野田さんの言葉に
「生まれた時は自我ばかり、生きるためには自制と自律がなければ。」
今の国会の議員の野次や、あたりかまわず悪口を言いふらす隣国。まさしく「自我」の塊で「自律」や「自制」などかけらも感じない。

小野田さんは言う「日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。」

毎年8/15日に向けて、8/9日あたりから不遜の輩のニュースで心が痛んだが、今年は愛知トリエンナーレの問題が起き、知事も報道もだんまり。反日活動家たちや朝日新聞は何がしたかったのか。まっとうな日本人の心は痛めつけられるばかり。愛知県民として情けない限りだ。

そして極めつけは、終戦の日に「特大の台風」がきた。飛行機も新幹線も止まり、用のない者は家に閉じこもるしかない。そこに小さな存在の我々を感じる。
自然にはたくらみが無い。畏怖を感じることで謙虚になる。

高山曜三