「明治の言葉に」

学校法人に奉職して20年は教壇に立ち、17年は学校法人の本部で大学や高校などの経営(ただ入学生集めだが)に苦しんだ。55歳を迎え現場に帰りたいと切望したが、かなわず退職した。

退職して2年目に非常勤講師で念願の現場復帰をして。足かけ17年のブランクは大きかった。高校生の質も、教員もみな劇的変化を遂げていた。まさしく「ガリバー旅行記」。巨人ならいいけど小人の老人。2年目、高校の授業が少しづつ慣れてきた。よし3年目はと意気込んでいたら、病の治療のため現場を辞した。体は比較的動くのでおとな塾は継続しようと今年も開講している。

教師は、およそ教育は将来の国を背負う人材を育てるためにあると故森信三先生のおっしゃる通りであり、その責任を負っていると自負しなければと思う。自分に迎合し、よく言うことを聞く人間に育てているのではない。しかし、学ぶ姿勢がなければ改めてもらうしかない。

西郷隆盛曰く
「人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。だがそこには人間としての「道」がなければならない。電信を設け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの機械を造る。
こういうことは、たしかに耳目を驚かせる。
しかし、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、といった必要の根本を見極めておかなければ、いたずらに開発のための開発に追い込まわされることになる。まして、みだりに外国の盛大を羨んで、利害損得を論じ、家屋の構造から玩具にいたるまで、いちいち外国の真似をして、贅沢の風潮を生じさせ、財産を浪費すれば、国力は疲弊してしまう。それのみならず、人の心も軽薄に流れ結局は日本そのものが滅んでしまうだろう。」

150年前のこの言葉はまさしく、グローバル・グローバルと叫ぶ今の社会が気付かねばならない言葉だ。

教育の意義はまさしく「人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。だがそこには人間としての「道」がなければならない。」のとおりである。

現場でなくとも、今の自分ができることを探さねばならない。

 高山曜三