「何が変わった」

6月も中旬、梅雨に入った。
4月に大学の授業が始まって1回も学生の顔を見ていない。

先日教務担当の教授に「前期は仕方ないとして、後期は対面で授業ができますか」と聞いたところ、「密を避けるとなると先生の授業は人数が多いから半分に分けなければならない。そうなると教室が足らなくなるから前期と同じかな。」と言われた。

 

学校教育は、およそ将来の国を背負う人材を育てるためにあると思う。同様に新入社員の育成も企業の発展のため、果てには国家の発展につながる。リモートワークで仕事の形態も変わりつつある。

西郷隆盛曰く
「人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。だがそこには人間としての「道」がなければならない。
電信を設け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの機械を造る。こういうことは、たしかに耳目を驚かせる。
しかし、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、といった必要の根本を見極めておかなければ、いたずらに開発のための開発に追い込まわされることになる。まして、みだりに外国の盛大を羨んで、利害損得を論じ、家屋の構造から玩具にいたるまで、いちいち外国の真似をして、贅沢の風潮を生じさせ、財産を浪費すれば、国力は疲弊してしまう。
それのみならず、人の心も軽薄に流れ、結局は日本そのものが滅んでしまうだろう。」

この10年、グローバルと叫んできた。世界の基準をありがたがってきた日本はどのようになったのか。じっくりと考えなければならない。リモートをありがたがり、生産性が上がったことを喜ぶ風潮。リモート授業ができるように、早く設備を整えようとする地方公共団体。

教育の意義はまさしく「人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。だがそこには人間としての「道」がなければならない。」のとおりである。そして、人間としての「道」は人間同士の切磋琢磨がないと「道」を理解できる人間に育たないのではないだろうか。

西郷さんの時代と何が変わったのだろう。

高山曜三