ひもろぎ苑 1995 種を撒く 2
「先生、水あるんですか。」
「電気は来てますか。」
「チェンソーはありますか。」
「どこまでが俺らの土地ですか。」
雑木林、埋もれた道、廃屋を前に卒業生らは口々に質問が出た。土地を手に入れることが精一杯でそんなこと考えもしなかった。調査もせず手に入れてしまった。
土地の所有権は手に入れることができ、観光協会へ申請など手続きを経て、現地付近に集合をかけた。数人が集まってくれた時のことである。
水は井戸があると聞いていたが、枯れており使えず、後日沢を探し、歩いて登ること30分の水源地から水を引くこととなった。水が引けるまでには7年がかかった。
電気はすでに切られており電柱も傾き電気も来ていない。卒業生の勤める電気工事会社の社長にお願いした。
ここから、木を伐ったり、抜根したりの作業。伐った木を皮をむいて乾かし柱に使い、枝や細い木は燃やすという作業に明け暮れた。
自分らの土地がわからない。図面を借りてくるが山の境界などわからない。さらに周りは廃屋だらけ。だれも住んでいない廃屋。自分らでここだろうと勝手にきめて作業をした。というよりどこまでも自分らの土地であるかのように切り開いた。
当時は土曜日が休みではないため土曜日の夜から集まり、日曜日の夜まで木や土と悪戦苦闘し、月曜日から仕事。卒業生も来ては去り多くの人が手伝ってくれた。3年もたつと小学生や中学生のキャンプなどもできるようになった。
■写真は昇る朝日に木々が反射している。ものと雪景色の三重県民の森。大阪おとな塾の社長から無理を言って譲り受けたパジェロ。