8月15日に想う

「らしく」と言う言葉が無くなってしまった。
大学生は大学生らしく学問をする。大人と言われる社会人は、大人らしいふるまいをする。政治家は国民から国の舵取りを託された責任を果たす者らしい言動をする。日本国民は日本国民らしくする。などと言っても日本がわからない時代になってしまった。

 

「国語」の基本が出来ない時に、「英語」を入れるのは反対である。確かに小学3年生からやれば会話も身につくだろう。しかし、人間は言語で思考する。日本語で思考するから日本の文化伝統も、紡いでいけるのである。漢字、ひらかな、カタカナを使いこなせるのは日本語ゆえである。
英語が堪能になるのは悪いことではない。しかし、日本は戦後の教育の中で、自らの国の歴史を正しく伝えて来れなかった。神話も然りである。その結果、「精神的無国籍状態」の他力本願の依存心の強い国民を産み出した。自国を守る思考を見ればわかる。戦争反対を叫び毎日デモをしている風景。うんざりである。

 

フランシスコ ザビエルは、「それがキリスト教の国であっても、そうでない国であっても、盗みについてこれほど節操のある人々を見たことがありません。」と言い、

トルストイは「人生の理想的生活を現実に見つめれば、日本の農民の生活が最もこれに近い。」と言っている。

ブルーノ・タウトという建築家は、「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」と言っている。

 

われわれはそんな日本の国民なのである

日本人の由来を知る教育。日本人らしい社会を生む教育を切望する。

 

高山曜三