「教わる」

11月23日24日から始める「解体マルシェ」のために6m四方の倉庫を建て、家の解体で出た命半ばの品々を知り合いの建築会社から運び搬入している。人から見れば「ガラクタ」であるかもしれない。

ひもろぎ苑は25年間頂き物と、解体で出た品と、拾って来たものを活用して手作りをしてきた歴史がある。その意味でも簡単に捨てることがなかなかできない。11月23日から来年3月まで展示する予定である。多くの人にひもろぎ苑に来ていただき活用していただければと考えている。

15年前のブログを読み返すと当時の自分の情熱に教えられることがある。

「教わる」

ミニクーパーが学校の横の道に止まっていた
事務所から来訪者の連絡があった
私のクラスにいたN君が立っていた
彼はK君(前出 k君のいる風景)と同じクラスだった

高校は卒業できる子もいれば退学する子もいる
20数年の教師生活の中で
私は全員を卒業させてはいない未熟な教師だ
退学した理由はどうあれ
卒業までたどりつけない生徒が自分のクラスから生まれることの教師の責任は重い
N君もその一人だ

「先生お元気ですか。」
「まあ、ぼちぼちだよ」
「定時制の高校へ行きたいのですが、どうやったらいけるか聞きにきました。やっぱり中退だとかっこ悪いし、給料も悪いし」
そんな会話をしながらも彼が辞めていったときのことを思い出していた

N君はあまりしゃべらない生徒で普段はおとなしい
ただ休んでも、遅刻しても理由をはっきり言わない
行事や役割はさぼらない。といってまじめにも取り組まない
勉強もしない
あまりつかみどころがないが、話し合いをしているときに意見を求めると存在感をだす。不思議な存在の生徒だった
K君やS君が変わり始めたころ
S君がN君に「お前も日記書いてみろ。絶対お前なら変われるよ。」
私は日記を強要していなかった
自分が望まない限り何をやっても変わりはしないから
その当時10数人が日記を書き、彼らへの所感を書くことでいっぱいいっぱいだったのも事実

N君は「俺はもう変われんわ。今で精一杯」
とS君に応え私のほうを見て笑った

それから彼は3日ほど休んだ
電話に誰も出ない
4日目に彼が学校に出てきた
「ちょっと話がある」
私がきつい口調で言うと
「俺も話したいことがある」
放課後
「学校辞めるわ」
「理由は」
家で夫婦喧嘩が絶えない
父が母に暴力を振るう
N君がいる時は止めに入るらしい
過去にお母さんは自分の首にナイフを刺し
自殺まではかったこともある
何度も救急車で運んだことがあると言う
N君は自分がお母さんのそばにいないと危ないと言う
さらに心配なのは
弟が中学生になり荒れてきた
弟を自分のようにしたくない
お父さんはN君の話を聞かない
私ではどうにもならないかも知れないが
お父さんに話しをしようか。などいろいろ話した
「先生は引き止めてくれると思った。ありがたいが俺は最近も喫煙で補導されている。いつか学校に知れる。すでに1年のとき処分されているから次は退学だから。」
「やめて働いてお母さんと弟を食べさせたい。落ち着いたらお母さんにお店を持たせたい。」
私は退学届けの用紙を渡した

数日後N君は一人で用紙を持ってきた
晴れ晴れとした顔だった
「落ち着いたら高校へ行け。定時制でも通信制でもいいから」
N君はそれには応えず帰っていった

「君は2年の最後まで終わらず辞めたから、1年の単位は認められるけど2年は認められない。大変だけど定時制行くか」
「やってみます」
卒業する子にも多くのことを教わる
さらにやめて行く子にこそ教師は教わるのだとつくづく思う
いろいろなご家庭がある
もっと早く気づいてやれればと
自分の未熟さ。悔しさを何度も味わった
「責任」は声高に誰かのせいにすれば
いくらでも回避できる

しかし
学校でも社会でも家庭でも
他人の子でも自分の子でも
かかわる限り責任がある
良いことだけを選択しようとすると行動はできなくなる
良いか悪いかの理論では人は育たない
生徒に教え続けられる自分がいる

高山曜三