習慣

4月もあっという間に中旬。「一昨日祖父江に帰ってきて玄関を入る。三世代が暮らす家とはいえ靴が散乱している。玄関の履き物を見れば、その家の家風が概(おおむ)ね分かるとも言われる。孫が生まれたのにこの有様ではいけないと、靴をそろえるが習慣になっていないためすぐに散乱する。
中国の古典『小学』に
「古(いにしえ)の小学、人を教うるに、洒掃(さいそう)、応対、進退の節(せつ)、親(しん)を愛し、長を敬(けい)し、師を隆(たっと)び、友に親しむの道を以(もっ)てす。皆身を修(おさ)め、家を齊(ととの)え、国を治め、天下を平(たい)らにするの本(もと)と為(な)す所以(ゆえん)なり」と書いてある。「洒掃(さいそう)」とは清掃のこと。「応対」とは挨拶。「進退の節」とは所作のこと。そして親を愛し、目上の者を敬い、先生を尊び、友を親しむ。と訳していくと私自身が営んできた姿勢こそが反省だと心が痛む。
孫と言わず自分からもう一度森信三先生が提唱された、「しつけの三原則」に返らねば、
一つ、朝、必ず親に挨拶をする子にすること。
二つ、親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とハッキリ返事のできる子にすること。
三つ、ハキモノを脱いだら、必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。
さあ、実行だ。