「さぼるな」

選挙権が18歳に引き下げられて3年がたつ。1945年に「25歳以上」から「20歳以上」に引き下げられて以来、70年ぶりの改定だった。2022年からは飲酒、喫煙を除いて18歳に引き下げられると聞いた。

 

若者の政治参加の拡大につなげるためには、「学校現場を通じた「主権者教育」の充実がカギを握る。」と新聞の見出しをにぎわせていた。世の中に言う「ゆとり」を輩出したのが前回の「学習指導要領」を出した文科省に責任があるように言われたが、その意図を理解できずに、授業を満足にできなかった、教師や学校にも責任はある。「主権者教育」とは一体何だろう。私が教育の現場に復帰して2年目になるが「主権者教育」なるものを聞いたことがない。

 

制度を変えたから、有権者が増え投票率が高くなるのか。それによって社会がよくなるのか。今の投票率や国会中継で映し出される政治家の劣化の様を見れば想像はつく。政治家の劣化は、有権者の劣化である。学校教育だけに「主権者教育」を求めるのではなく、「おとな」と呼ばれる我々の責任を自問自答すべきである。さらに日本は主権国家足り得るのかを国民が考えなければならない。拉致問題、領土問題、何処に日本の主権が存在するのか。

 

どんなに未熟なおとなでも、若者に「日本を背負うのは、あなたたちなんだと語る義務がある。」難しいことを語ることはない。選挙があれば、投票に行く。祝日には国旗を掲げる。朝ごはんはきちっと食べる。ごく当たり前のことが大切だ。高邁な思想を掲げる必要はない。自分の生活でごく当たり前のことを毎日きちっとすることが大切ではないか。

 

「経文といい経書といい、その「経」という文字は、もともと機の縦糸のことだ。だから縦糸ばかりでは用をなさず、横に日々実行を織りこんで、はじめて織物として役に立つのだ。横に実行を織りこまず、ただの縦糸だけでは役に立たぬことはいうまでもない。」(二宮尊徳)

高山曜三