荘川桜

「ひもろぎ苑」本館を取り囲むように植えてある荘川桜は20年ほど前に植えた。山櫻なので決して華やかさはないが今が満開である。残念なことに樹木の上のほうに咲いているのではっきりとは見えない。
その桜たちのお母さんは、岐阜県高山市荘川町(旧荘川村)中野の国道156号沿い、御母衣ダム湖岸に移植された樹齢450年と推定される。 御母衣ダム建設によってダム湖底に沈む運命にあった桜を移植し、翌年にも花をさかせたことでも有名である。1967年、国鉄バス名金急行線(名古屋~金沢)の車掌佐藤良二氏が、荘川桜が見事に開花したことに感動し、国鉄名金線の沿線に荘川桜の種から苗木をつくり、沿道に植え続けたことから、名金線の沿線は「さくら道」と呼ばれるようなり、1994年には「さくら」という映画にもなった。
「ひもろぎ苑」で映画「さくら」の観賞会した時、そこに来て見えた方が佐藤氏の知り合いで、荘川桜の苗木を後日もらって見えていただいたものである。接ぎ木した桜の木とは違って、すぐには花は咲かない。同じ子供でも一本一本に性格が違う。まさしく人間と同じだ。
植えて20年。ちらほら花が咲き始めたのが5年ほど前からである。そしてその花を風呂に入りながら見ようと風呂作りが始まった。(風呂作りは全く個人的趣味から)
菅仲が桓公に言った言葉で、
「一年之計。莫如樹穀。十年之計。莫如樹木。終身之計。莫如樹人。」
《一年の計は穀(こく) を樹(う) うるに如(し) くは莫(な) く、十年の計は木を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、終身の計は人を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)し。》意味は、 一年の計は穀物を植えるに及ぶものはなく、十年の計は木を植えるに及ぶものはなく、終身の計は人を植えるに及ぶものはない。というもの。
ひもろぎ苑がひもろぎ苑足り得るのはまさしく「終身之計。莫如樹人」の活動の場であり続けることだ。