貫く棒のごときもの

世界も自分を取り囲む環境が目まぐるしく変化している。1年前の環境とは全く異なる世界、さらには自分がいる。
自分の身に降りかかるいろいろなことに、良いとか、悪いとか、幸せとか不幸せを考えるより、貫いて変わらぬ覚悟の基に生きてきたかと言えば怪しい。ここ数年、毎日自分の生き方とそれに伴う覚悟の振り返りの連続で過ぎた。
高浜虚子の俳句に「去年(こぞ)今年貫く棒のごときもの」(去年とか、今年とかくぎってあるのは、ただの世の中のお約束であって、自分の暮らしや生き方、心の中に保っているものは、なんにも変わらない。)と言う意味だ。
国語の本に採用されたこの句の意味を調べた時、22歳の教員になりたての私は、この句から作者高浜虚子の生き方のすごさを感じ取ることが出来ず、ありきたりの説明を生徒にした覚えがある。今は、「貫く棒のごときもの」と言いきれる虚子の自信なのか、諦観なのか。その潔さに敬服している。わたしも「貫く棒のごときもの」と言える自分を磨かねばと思う。
写真は最近DIY作品。