当たり前

数年前、公立高校のT先生が同僚に「おとな塾」を紹介し入会したが、3回ほどで退会した。理由は、いろいろあるみたいだったが、「右翼みたいな考えにはついていけない。」だった。「右翼」という言葉も理解しないのに。「愛国心」はないのだろうか。など言いたいことはたくさんあった。
日ごろからその先生が、生徒に何を話しているのか不安になった。T先生は幾度と説明を同僚にしたが通じなかった。「おとな塾」と同様にNPO法人の活動にも来なくなった。理由は「宗教ぽい」だった。
「愛国心」を口にすれば右翼。「道徳」「修身」を口にすれば宗教。これが日本の教育の成果であり、職業は教師なのだ。と嘆いた。
「正しいこと」だから学ぶ、「正しい活動」だから参加する。それが当たり前だと思っていたが、当たり前はないと考えなければならない。それを受け入れる土壌がなければ行動には結び付かない。
従業員にも生徒にも、「これが正しいからするべきだ」と言っても理解する心構えが出来てなければ受け入れて行動することはない。理解できない者は「馬鹿だ!」と言って切り捨てることは簡単である。しかし、教師がそんな現状である限り、受け入れることのできる心づくりもしない。日本の未来が暗い。
「石の上にも三年」改め「石の上に座るのに三年」
「鉄は熱いうちに打て」改め「鉄は熱くしてから打て」