平泉澄先生

私には2人の孫がいる。長女は「櫻子」長男は「至誠」二人とも私が名前を付けた。「至誠」は、もとより吉田松陰の「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」を頂いた。「至誠而不動者未之有也」「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざる成り」はもともとは孟子の言葉である。

私は20年前、御母衣(みほろ)ダムのほとりにある樹齢400年以上の荘川桜の子供たちをひもろぎ苑に植えた。それら荘川桜は10数年花を見せてくれなかった。今では淡いピンクの花をつける。それにちなんで長女には「櫻子」と付けた。

そして3人目が1月13日予定で生まれてくるという。ありがたいことだ。

2人の孫と生まれてくる3人目の孫に故平泉澄(ひらいずみきよし)先生の「少年日本史」のはしがきの言葉を贈りたい。

皆さんは日本人だ。皆さんを生んだものは、日本の歴史だ。その顔、その心、その言葉、それは皆幾百年前からの先祖より受けついだものだ。それを正しく受けついだ者が、正しい日本人だ。

從って、正しい日本人となる爲には、日本歴史の眞實を知り、之を受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戰敗れた後の我が國は、占領軍の干渉の爲に、正 しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け八年にして解除せられた。然し歴史の學問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている。從っ て皆さんが、此の少年日本史を讃まれる時、それが一般に行なわれている書物と、大きく相違しているのに驚くであろう。

皆さんよ、人の貴いのは、それが誠實であるからだ。誠實は一切の徳の根本だ。その誠實を守る爲には、非常な勇氣を必要とするのだ。世の中には、自分の慾の 爲に、事實を正しく視る事の出來ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事實を述べる勇氣のない人も多い。今後の日本を携うべき少年の皆さん、敗戰の 汚辱を拭い去って、光に充ちた日本の再興に當るべき皆さんは、何よりも先ず誠實でなければならぬ。そしてその誠實を一生守り通す勇氣を持たなければなら ぬ。日本の歴史は、さような誠實と勇氣との結晶だ。凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成に與る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體で いえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覺をいだいてはならぬ。

私は今、数え年七十六歳だ。從って本書は、皆さんへの、最初の贈物であって、同時に最後の贈物となるであろう。私は戰で疲れ切った心身に、ようやく残る全力をあげて、一氣に之を書いた。

その原稿一千枚。それを私は歴史的假名遣で書いた。それが正しいと信ずるからだ。然し皆さんは學校で、現代假名遣しか學んでいない。よって時事通信杜は、 皆さんの讀みやすいように現代假名遣に改めたいと希望した。私は他日、日本が正しい日本にかえる時、必ず歴史的假名遣にかえるに違いないと信じつつ、しば らくその申入を容認した。

昭和四十五年秋九月    平泉 澄(ひらいずみ きよし)