谷川俊太郎

今年の成人式はコロナの影響でさまざまであった。成人の日の意味を考える時間もないほど3密に気を使った。成人の日は式典に意味があるのではないと言ってしまえばそれまでだが、久しぶりに同級生と会うのも、語り合うのも楽しいはずだ。

成人の日は、国民の祝日に関する法律第2条「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ますこと」を趣旨としている。とある。

成人には2つの意味がある。
1,成年に達しているということ。
2,「人と成る」という意味。人間らしい人間になる。

谷川俊太郎の詩に「成人の日に」を読んでみよう。

人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている
成人とは人になること
もしそうなら私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみんな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ
その問に
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける
人は人を慰める
人は人を怖れ
人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たその時から小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけできみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
出来上がったどんな権威にも縛られず
流れ動く多数の意見に惑わされず
とらわれぬ子どもの魂で
今あるものを組み直し作りかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

40数年前の成人式私は地方の大学に行っていたので地元に帰らなかった。いまだに「おとな」を問いかけ続けている。