「我々おとなができること」

2020年(令和2年)7月5日に実施される予定の東京都知事選挙は現職東京都知事の任期満了に伴う選挙は2011年以来9年ぶり(4回ぶり)となる。令和時代に入ってから初の東京都知事選挙である。

言うまでもなく、日本の首都の首長を決める選挙は重大だ。韓国の国家予算より大きい東京都の財政を預かる責任者を選ぶ選挙である。

「憲法が保障している自由や権利を確実なものにするためには、何より主権者である国民の意思を正しく政治に反映させることが重要です。「国民固有の権利」(15条)である参政権は、民主主義の基礎となる重要な権利であり、中でも選挙権は最も重要なものです。~略」《新編新しいみんなの公民 育鵬社編》と中学3年生の社会科公民の教科書に書いてある。

おとなとしても一度「公民」の教科書をお勧めする。「18歳以上の選挙権」が認められ、おとなが今までにない「範」を示さねばならない時代が来ている。そうした教育を学校に期待したり、危惧する声が多いが、学校に期待したり、不安視したりして責任を押し付けるのではなく、教師も、保護者も、社会に出ている「おとな」と呼ばれる人間はすべて、次世代を担う子供らに日本を受け継いでもらうための覚悟を行動で見せなければならない。

大学の学部にグローバル何何という名称がつけられたり、何事にもグローバル化と言われ、グローバル人材が求められると社会で言われた今は昔。

グローバルとは国際協調、国際分業など国境をこえて世界が結びつくことである。それは、世界中の国々を認めることではない。ましてや英語が話せることを重視することとは、さらさら違う。まず、「世界の国と日本はどこが異なるのかを知ること」である。隣国の主張に合わせることが、国際化ではない。自国は「こうです。」とはっきり言い、そのうえで協調できることを模索することが必要だ。

真にグローバル人材を育てたいならば、日本の基礎を15歳までに教え、自国の未来を模索する姿勢を18歳までには育成したいものだ。

まずは、学校教育におんぶに抱っこするのではなく、われわれ大人がどのような背中を見せるのか、できることからしなければならない。その意味でも東京都知事選挙は重要なのだ。

高山曜三