「問題に近づけ、問題解決は素手で」

先週、法隆寺へ行ってきた。千数百年も昔の仏像、建物が見れて触れるのは幸せである。聖徳太子が歩いたであろう道を歩けるのも幸せである。心の狭い考え方ではあるが、平日は異国の人の声が聞こえないのが少し幸せでもある。経済効果やいろいろな影響を考えると仕方のないことであるが、世界文化遺産は法隆寺に必要であったかと考えてしまう。

先日、高校生入塾面談と中学生女子の教育相談をした。高校生は中学校時代塾に通っていた子なので話は早かったが、中学生女子の母親は相談なのか、塾へのクレームなのか良く分からなかった。丁寧に聞くもわからない。概要は成績が上がらない母親自身の悩みであることに間違いはないのだが、私に言うより、娘に言えばいいのにと思いながら聞いた。自分で娘に言えないので私に言いに来るのかもしれない。その中で気付くことがあった。母親の性格は娘さんと同じだということ。

若いころお手紙などでご指導を頂いた。鍵山秀三郎氏の言葉に、「問題に近づけ、解決は素手でやれ」と言う言葉があった。つくづくその通りだと思う。若いころは「問題に近づく」ことがどういうことなのかすわからなかった。最近ようやく「問題に近づく」素振りができるようになった。かも

高山曜三