私は、30歳くらいだったと思う。安岡正篤氏の本で「知識」「見識」「胆識」という言葉に触れた。
「知識」の習得は、人の話を聞いたり書物を読んだりして得られるものである。知識は物事の本質を見通す思慮や判断力というものが加わって初めて意義あるものとなる。これが「見識」である。世の中には知識はあるが見識のない人は多い。全部を書くと長くなるので省略するが、 見識は、それを実行に移すことで初めて大きな仕事を成し遂げることができる。
見識に決断力と実行力が加わったものが、胆力のある見識すなわち「胆識」である。さまざまな抵抗や障害を断固として排除し実践していく力量のことである。
「陽明学」では胆識は、「事上磨錬」にあるという。物事を実行していく中から磨かれ、身に付くものである。ということである。
「伝記」は子供らの生きる目標になる。その目標はやがて達成のための実行へつながる。「道徳」と言うと内容も見ず、NOを叫ぶおとなが多い。この国の未来のためには、子供らが生き生きと「こんな人間になりたい」と思える教材が必要なのだと思う。
おとなは、子供にとって生きた教材なのだから。今テレビで中継している国会も、アメリカンフットボールのごたごたも、無責任に自分の意見を垂れ流すコメンテーターも子供には見せたくないものだ。
高山曜三