誰にでも居場所が重要で、それは単なる「場所」という場合もあるし、「心のよりどころ」と言う場合もある。また、なぜかその場所に行きたくなるという「空間」という意味に考えても良い。
卒業生A君の息子が中学生の時、私の塾に通っていた。中学生の反抗期真っ盛りで、中学校の先生とケンカをしたと言って家に帰らず、塾に逃げてきたことがあった。中学校ではどこにいったかわからないので大騒ぎとなり、家にも連絡したらしいが、お母さんはパートで家にはいないのでわからない。
私は、勤めている時だったのでそんなことは知らなかったが、息子の嫁から「Yが中学校で先生とケンカをして塾に逃げてきているけど、どうしたらしいいのか」という電話を職場にもらった。「お母さんに電話をして。ほかっといてやればいい。」と指示を出した。彼は、塾の始まる少し前までいて家に帰った。もちろん塾は休んだ。ケンカをして身のやり場に困って、誰もいない家に帰らず、誰もいない塾に来た。私は、彼にはほかの塾生よりひどく怒ったこともある。いつも厳しく当たっていた。しかし、彼の心に届いていたことを嬉しく思った。
困った時、悩んだ時に来れる「居場所」として彼にとって塾は少し役に立っているのだとその時は少しうれしくなった。彼はいま東京で働いている。一人暮らし2年目になった。東京から帰ると家にも帰らずひもろぎ苑に来る。居場所が塾からひもろぎ苑に変わったらしい。
学びたい者は学ぶ、悩みたい者は悩む、少し休みたい者は休むそんな「居場所」があればいいと思う。場所、空間、そして人が安心して飛び込んで来れる先生になれたらと日々こつこつだ。
高山曜三