「消えていく」

今時は言葉を発しなくても遊べる。ゲームの中で遊べばいい。必要なことはゲームのキャラクターが言ってくれる。おなかがすいたと言わなくても用意してくれる母さんがいる。答えがわからないと言わなくても、わからないとしてパスしてくれる先生がいる。

英語が必要なことはわかる。
それ以上に国語を大切にしなければならない。と考える。
昨日面談したお母さんは、「本を読めと言ってきたのですが、全然読まないので国語が出来ないのです。」と言う。
お母さんに、「お母さん毎日話しかけて会話をしてください。」と言った。
漢字も読めない。感情も理解できない。そんな子に本を読めと言っても無理だ。

「国語」と同様おろそかにされているのが「歴史」だ。
なぜ「国史」と言わず、「日本史」と言うのか。世界史と日本史を同系列に置くことがおかしい。「国語」を日本語とは言わない。小学校から教科の中心に「国語」「国史」を置かなければ、日本の文化伝統を重んじる。とか道徳教育を導入すると言ってもお題目を唱えるだけで終わってしまう。

佐藤一斎の「言志四録」に
「少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、 則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。」三学戒と言われる言葉がある。
意味は、「子供のときからしっかりと学んでおけば、重要な仕事をすることができる大人になる。更(さら)に学び続ければ、老年になっても学んだことは衰えることがない。老年にな ってからも学ぶことをやめなければ、死んだ後も自分の業績は残り次の人々にも引き継が れていく。」 というもの。

ちょうど20年前、神渡先生の「立命の研究」を読んで「ひもろぎ苑」の建設に取り掛かった。「言志四録」もそのころ読んだ。
山に集まる若者はこの文が読めない。佐藤一斎が何者かも知らない。さみしいことだ。さらに20年もたてば、グローバルの名のもとにこんな文は読めなくて、知らなくて当たり前になるのだろう。

高山曜三