今日から塾は保護者会ウィークだ。保護者の身になれば学期末学校へ行き教師の話を聞き、成績が伸びないと悩み、少しは上がったと喜び大変だ。今度は塾に呼び出され、月謝を払ってまた耳に痛いことを聞かなければならない。つくづく大変だと思う。
私の塾では日ごろ生徒を教えているインストラクターは保護者との面談はしない。なぜか日ごろ教えていない私が面談をする。お母さんの、お父さんの学校では言えないことや心配を聞こうと思って臨んでいる。面談時間は決まっているがそのように行ったためしがない。生徒以上にいろいろなストレスをため込み、どうしたらいいかわからない保護者の言葉をできるだけ聞こう思う。
自分の悩みや、感情をうまく言葉に表現できない人が多い。その言葉を見つけてあげるのも私の役割だとも考えている。伝えたいと思い、伝えたい言葉をたくさん投げかけてもいっぱいいっぱいで、もう結構と体が正直に反応している方も見える。その人に「伝わる言葉」を探しているとまず聞くことが大切だと思う。かくも言葉は大切なものだと思う。
「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥です」と、誰が言っているのかと見れば瀬戸内寂聴さんであった。彼女は天台宗の僧侶である。天台宗を開いた最澄(さいちょう)の言葉に、「一燈照隅 万燈照国」(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)がある。
<意味>一人ひとりが自分の身近の一隅を照らす。それだけでは小さいあかりかもしれないが、その一隅を照らす人が増えていき、万のあかりとなれば、国全体を照らすことが出来る。
他人を中傷する言葉を平気で発するというのは慎んでもらいたい。僧侶の恰好をして、自分の伝えたい言葉だけを発することにより、平気で他人を貶めることはどうだろうか。国民の一票で代表となった国会議員が、議長の制止を守らなかったり、汚い野次を平気で大声で言う。仮にも、人から尊敬の念を持って見られる人たちがこのような有様なのである。
「教育や自分の子供の事となるとみんな立派な先生になる。」と言う。「いじめ」の問題に当てはめたらどうだろう。平気で他人を貶める言葉を吐くことは、この場合仕方のないことだと、子供らに説明できるのだろうか。おとなとして、言葉を工夫してもらいたいものだ。どんどん言葉が軽くなり、どんどん言葉が醜くなっている。それは私ら自身が劣化していることに他ならない。
高山曜三