「願い」

ちょうど10数年前こんなブログを書いた。

「願い」

昭和60年ころ
ちょうどバブルのころ
有効求人倍率10倍を超えた
一方ですぐ会社を辞めて転職する卒業生も激増した
すばらしい笑顔と
未来への希望で卒業した彼らの顔から
笑顔が無くなるのは早かった

ある者は事故
またある者は人間関係で
会社を辞めていた
来校する卒業生からうわさを聞くたびに
果たして卒業させたらそれでいいのかと
悩むようになった

こんな言葉に出会った
「根を養えば樹は自ずから育つ」
「根を養う」とはどういうことか
数ヵ月後
鈴鹿山脈のふもとを歩き回る自分がいた
単純な私は、根を張るための場所を探していた
自分が
という思い上がりだと今は思うが
私は疑いなく彼らの根を養うためには
力を合わせて何かを作ることだと考えていた
ヒイラギとサカキが茂る山の斜面を手に入れた

土曜日、日曜日を費やして
7年後
ようやく山頂の水源から水を引くことができた
そこで根が養われたかは疑問だ
わかったことがある
「何事も一人ではできない」
「一人でできることをサボらない」
簡単なことがわかった
しかし実践は難しい

願い

御母衣湖畔中野展望台には樹齢450年の荘川桜が2本
御母衣湖底に沈んだ中野照蓮寺および光輪寺の境内にあった桜だ
電源開発株式会社の初代総裁高碕達之助は
昭和34年に移植を思い立ち
私費を投じて着手
笹部新太郎氏にこの二本の桜の移植を依頼
翌年12月移植工事が完了した
翌年の開花は多くの人に感動を与えた
当時国鉄バスの車掌佐藤良次さんもその一人

7年後
荘川桜を発芽させ
名古屋から金沢のバス路線250キロに
苗を植樹を思い立つ
2000本の桜を植樹して佐藤さんはこの世を去った
昭和52年 享年47歳
太平洋と日本海がさくら道で結ばれた
10年前「さくら」という映画を見た
感動は行動に結びつく
それから1年後
小さなキャンプ場に荘川桜の子供たちが来た
8年目になる来春こそは
咲いて欲しいと願っている
「願い」
「期待」ではない
「願い」という
自分の心を大切にしたい

 

※「ひもろぎ苑」は今年で24年。坂村真民先生の言葉に尽きる

「あせるな いそぐな ぐらぐらするな
馬鹿にされようと  笑われようと
じぶんの道を    まっすぐゆこう
時間をかけて    みがいてゆこう」

高山曜三