便利なようで不便

今年は昨年とは異なり雪がまだ積もっていない。しかも暖かい。無責任に言い放って申し訳ないが、私は冬はやはり寒いが良い。「寒いのは嫌だ〜」と言い放つくらいが冬らしい。
「士農工商」の時代は「らしい」が最重要だった。「武士らしく」と言えばそのようにしようと生きた。現代は難しい。「自分らしく」が見つからない。だから、自分を探す旅までする始末。便利なようで不便な時代だ。「自由」を叫んでいるわりに「不自由」を嘆いている。「平等」が大切と言いながら、「不平等」を探している。
高橋泥舟は勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれている。高橋泥舟の事を、勝は後年「あれは大馬鹿だよ。物凄い修行を積んで槍一つで伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」と泥舟を評している。槍一筋、節義一筋に生きた泥舟の生き方を勝流に賞賛した言葉である。
高橋泥舟の言葉に、「欲深き人の心と降る雪は、積もるにつれて道を失う」がある。まさしくその通りだと思う。国会中継を聞いても、世界を眺めても、孔子の言葉を借りるなら、「自分の家の玄関が汚れているのに、隣の家の屋根の雪に難癖をつけるな」である。すなわち「知足」を学ぶということにたどり着く。