「大和魂って」

「ひもろぎ苑」の台風15号は被害なく通り過ぎたが、13号は雨の被害が甚大であった。「ひもろぎ苑」に通じる道の陥落、水を引いている取水口含めパイプが流された。

若いころ、仕事をして、夜飲みに行っていたら、お店の中に浸水してきて台風だと言うことを思い出したこともある。今は「ひもろぎ苑」は大丈夫か。とか、塾の建物の雨漏りはとか、いろいろな心配事が頭に去来する。歳をとり気弱になったとは思いたくないが、台風への備えに余念ない。

私は、「覚悟が出来ていない」などよく自分に使うが、この言葉をもっとかみしめたいと思うようになった。吉田松陰が死刑になる前に獄中から、高杉晋作の「男子死ぬべきところはどこか」という問いに答えた手紙がある。

「死は好むべきものでもなく、また憎むべきものでもありません。世の中には生きながら心の死んでいる者もいれば、その身は滅んでも魂の生き続ける者もいます。死んで己の志が永遠になるのなら、いつ死んだって構わないし、生きて果たせる大事があるのなら、いつまでも生きたらいいのです。人間というのは、生死にこだわらず、為すべきことを為すという心構えが大切なのです」

松陰にとって「為すべきことを為す心構え」が「覚悟」と言うものだと言うものだったのだろう。
吉田松陰は安政の大獄最後の死刑者として30才でこの世を去る。
弟子たちには、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と言う歌を遺し、家族あてには、「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」と言う歌を残した。

私にとって、台風であたふたすることも必要なことかもしれないが、覚悟を口にする前に「大和魂」とは何なのかを考えないといけない。自分では日本人はかくある者だと思いながら、本当に日本人たりえるのかが問われる。

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

高山曜三