捧げし命の

テレビでは学校へ行きたくない子どもにはどのように接したらよいかという特集が流れていた。いろいろな意見があるなと思う。しかし、ここ数日は故総理大臣の国葬反対のデモや宗教団体と癒着の政治家の話でもちきり。
子供らに向き合わなければと言っていたコメンテーターが今度は国葬の費用云々をを論じ、宗教団体と癒着とは何事かと声高に叫んでいる。
テレビとは、社会とはそういうものだとわかっているが、なんとなくやるせない思いでいっぱいだ。
終戦から70余年戦争へ行かれた人の年齢が大方90歳を超えた。
戦後を未亡人として生きぬかれた方々も90歳を超えている。テレビに出る人気者が不倫の言い訳をし、政治家が宗教団体とはもう付き合いませんと謝罪をする。そんな話題と同列に故総理大臣の国葬を報じている現代社会を、国を背負って亡くなった英霊や、生きて多くの子供を育てた未亡人のおばあさんたちに見せることの申し訳なさを、感じる。
「かくばかり醜き国になりぬれば捧げし命のただに惜しまる」
これは、未亡人となった遺族が詠んだ歌である。
かくも悲しい歌を歌わせてはいけない。慰霊も出来ぬ国に未来はない。「教育」がいかに大切なものか、教師のみならず、世の中でおとなと呼ばれる者すべてが一丸となって取り組まなければ、日本と言う国があったと、年表に出てくるだけとなってしまう。