結構「孤独」かな

高校1年生の時「孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある」この言葉に出合った。
三木清「人生論ノート」孤独の章に書いてあった。そんなものかと高校の時から「孤独」に出会うために、1人でよく旅に出た。誰とも話さず、雑踏の中にあっても寂しさをさほど感じなかった。
教師になり、いくら生徒のことを考えて話しても、通じない時でも孤独感をあまり感じなかった。逆にわかってもらうまで試行錯誤を繰り返そうとやる気がわいてきたものだ。

しかし、自分を理解してくれていると思った人に先立たれた時は、それまでにはない「孤独感」を味わった。その孤独感の中から、自分の存在だとか、自分が今から何をするのかを考えた。

ドイツの哲学者マックス・シュティルナーは「孤独は、知恵の最善の乳母である。」という言葉を残している。「孤独状態において人間は自分の存在などについて考えることを強いられ、その結果創造性、想像力などにつながる」そう考えれば「孤独」はネガティブなものではないと思う。

自分も60歳となり、ひもろぎ苑が次はどこへ向かうのかをはっきりさせなければと少し焦り気味である。
1994年「ひもろぎ苑」の地に立った時は、吉田松陰の「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」の言葉を心に刻んだ。

60歳になり、さてさて、NPO法人根っ子ネットワークとひもろぎ苑は新たな夢に向けて歩みだせるのか。
結構「孤独」かな。

高山曜三