「奴隷になるな」

三ヶ根山で数年前、殉国七士廟他慰霊碑の清掃をしている尊い方に出会った。尊いということの定義は、私にとっては「かけがえのない」としている。
殉国七士廟他慰霊碑でかけがえのない方に会い、二言三言言葉を交わした。その時のすがすがしい思いが今も心に残っている。

出光興産の創業者出光佐三氏の言葉に、「私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている。」が有る。この言葉は、今の社会の喧騒を見るに、心に響く。
「日本人として」この言葉に恥じない行ないをしているのか。「日本人として」自分の姿を子供に見せられるのか。大坂なおみさんが活躍すると「日本人」と言ってはやし立て、記者が「日本のテニスや日本人観を変える存在という声もあるが?」という質問をする。彼女は、「私は自分のアイデンティティーは深く考えず、私は私だと思っている。育てられた通りになってきている」だと答えた。実にクレバーな答えだ。
私は「日本人として」何ができるのかを考える時、「正直」でいるためにはどうしたらよいかを考える。自分の何気ない言葉の恥をしっかりとわきまえたい。

同じように出光佐三氏は終戦間も無い従業員に
黄金の奴隷になるな。
学問の奴隷になるな。
法律、組織、機構の奴隷になるな。
権力の奴隷になるな。
数、理論の奴隷になるな。
主義の奴隷になるな。
モラルの奴隷になるな。
と呼びかた。

おなじことがいえる昨今。
とらわれれない心を持ちたいものだ

高山曜三