「天」に仕える心?

最近、私事多忙でブログを書くことを怠っていた。明日からは新学期も始まるということで、今年の私は直接関係ないが、心機一転今年度は「発見」をテーマに生きてみようと思っている。

1週間のうち4日は山の家ですごし、自宅に3日という計画をしている。

言志四録の中、言志録の三条に「凡(およ)そ事をなすには、須(すべか)らく天に事(つか)ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず」
《およそ事をなすには、天に仕えるような気持で行うべきだ。人に見せようなどと言う気持ちを持ってはいけない。》

「天」という思想を40代までもちあわせていなかった。50代になってようやく気になりだした。「天」に仕えるような生活をいまだにしていない事にも気づいたと思ったらすでに60歳になってしまっていた。そして読み進むと「自ら欺(あざむ)かず、これを天に事(つか)ふと謂(い)ふ」
《天に対してではなく、何よりも自分自身に欺かない。至誠尽くす。これを天に仕えるという》
これで「天」なるものの存在がおぼろげながら見えてくる。

「至誠」の心を持って初めて、自分という存在が「天」あることでかけがえのないものになることに気づくのではないか。と思える。後は実践である。

高山曜三