ようやく修士論文の提出が出来た。さらに、履修している授業の課題も出来上がり、大学院の勉強は終了にあと一歩だ。足かけ4年は長かった。しかし、貴重な体験をした4年であった。
昨日からは高校の授業も始まり、久しぶりに言うことを聞かない生徒にいらいらとしながらも楽しい時間を過ごせた。アルフレッド・アドラーは「子供は感情でしか大人を支配できない。大人になってからも感情を使って人を動かそうとするのは、幼稚である。」と言っているが、まず彼らの言動を理解しようとこちらがあゆみよらなければ、怒りしか湧いてこない。
こうした日日の葛藤の時間が最近は楽しみに変わってきた。若い教師の頃、司馬温公「勧学の歌」に触れ、まさしくその通りだと思い、ダイレクトに生徒に伝えようと厳しく彼らに接した覚えがある。以下に注釈を載せる。
「子供を生んでも躾をちゃんとしなければ父親の過ちである。
教え導くのに厳しくしないのは師の怠りである。
父は教え、師は厳しく、両者ともに一意専心、不足をいう余地もないのに、学問が成就しないのは、勉強しない子の罪である。
そのような無学な人間は、暖かい衣服を着、腹いっぱいものを食べて、人並みの顔をして仲間に入り、賢者を見ても平気で、あたかも土くれなどを見るように笑ったり、話したりするのである。
つまりは偉くなろうとしてもなれず、下等な人間の仲間に入り、少し優れた人に遇うともはや相手になって対応することもできなくなってしまうのである。
勉強をしなさい。
若者よ。努めて師の教えを受けなさい。立派な先生のところに身を寄せて学び、決して自らの本性をくらましてはいけないのだ。
一旦文官試験に主席で合格すれば、名声は上がり、先輩に次いで世間からもてはやされ、もし結婚が未だであったら、
良家の美人が自然に配偶として求めてくるであろう。
そこで君らに勧めるが、各々早く学問を修めるがよい。
年をとってから無益に後悔することのないように。」
内容はともかく、若いころはまさしくそう通りだと彼らに伝えた。今もその思いは変わらないが、伝え方が変わったと思う。なにしろ伝わらなければ意味がないのだから。
これだけのことに気づくのに何十年もかかる。
高山曜三