「今日この頃」

夜明けが6時近くになったというのに、我が家の2匹の犬は5時に鳴く。「早く散歩に連れて行け。」とばかりに鳴き続ける。幸いなことに4時くらいから起きている私は彼らに起こされることはないが、他の家人は大変な迷惑であろう。散歩に連れて行こうにもまだ外は暗くしばらく辛抱しなければならない。

30代のころは寝ても覚めても「ひもろぎ苑」を作ることに頭がいっぱいで、寝ることを忘れていた。学校はまだ土曜日に授業があった。仕事を終え家に帰り、塾の授業が終わる21時30分。至福の時が来る。土曜日の夜から山に行き、作業をして月曜の朝、山から出勤と言うことを繰り返した。

40代になると仕事が面白くなり、人生と重ね合わせて仕事に取り組めるようになった。しかし、読書時間は減った。仕事に必要な本を読んだにすぎない。それ故、読書が楽しいと感じた思い出はあまりない。

50代になると少し読書の楽しさがわかってきた。
「菜根譚」(さいこんたん)にこんな文章がある。

「徳は才の主。才は徳の奴なり。才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるが如し。幾何(いかん)ぞ魍魎(もうりょう)にして猖狂(しょうきょう)せざらん。」
訳:人格が主人で、才能は召使に過ぎない。才能には恵まれても人格が伴わないのは、主人のいない家で召使が我もの顔に振舞っているようなものだ。これではせっかくの家庭も妖怪変化の巣窟と化してしまう。

まさしくその通りである。才能ばかり秀(ひい)でても「徳」が無ければ薄っぺらく感じてしまう。私は、自分に「才」と呼べるものはない。さりとて「徳」と呼べるものはあるのかと考えると、まあどちらもないのだから「こつこつ」と積み重ねるしかない。

60歳の今は週の半分以上を「ひもろぎ苑」で過ごしている。「ひもろぎ苑」を次世代に伝える整備のことで、ほぼ毎日頭の中はいっぱいになる。
なかなか体がついてこなくなり、「こつこつ」しかできなくなった。それにしても台風の後は「こつこつ」では追いつかない。

高山曜三