「学ぶ心」

「学ぶ心」という言葉を思いつき、インターネットを引いたところ、出てきたのが松下幸之助氏の言葉。これはスルーできない。
自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純粋な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
(参孝文献「道をひらく」著書 松下幸之助 PHP)
そうだここが肝心だ。
「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。」
肝心なのは「学ぶ心さえあれば」なのだ。何事も自分から取り組む姿勢がなければ、生まれてはこない。
「遊び心」と「学ぶ心」好奇心や興味があって生まれてくる。同じ種から生まれてくる。