40歳になる卒業生が「ひもろぎ苑」に来て「何歳くらいからここの開発を始めましたか。」「なぜひもろぎ苑を作ろうと思ったのですか」という質問を彼にされながら2人でバンガローの改装を行ったことがある。34歳から同じことをしているが、今は体力が無くなって休憩ばかりの自分がいる。少し情けない。
彼の在学中は良く叱った。そして良く一緒に考えた。振り返り考えれば今も昔も彼らに教わることが多い。
渡部昇一氏が道徳教科書に、「子供たちの肚(はら)を鍛えよう!と題して「日本の教育は「知」を伸ばし、「心」の優しい人間を作るのに熱心ですが、「肚」を作る教育はどうでしょうか。「肚」とは使命感、根性、勇気、気概、突破力と言ったものです。「肚」を養うのには、子供のころから伝記を読ませるのが一番です。伝記を読んで感奮すると、その偉人に一歩近づくことになります。これがだんだん自分の人生の理想、生きる目標となっていくのです。」と書いておられた。
私は、30歳くらいで安岡正篤氏の本で「知識」「見識」「胆識」という言葉に触れた。「知識」の習得は、人の話を聞いたり書物を読んだりして得られるものである。知識は物事の本質を見通す思慮や判断力というものが加わって初めて意義あるものとなる。これが「見識」である。世の中には知識はあるが見識のない人は多い。全部を書くと長くなるので省略するが、 見識は、それを実行に移すことで初めて大きな仕事を成し遂げることができる。見識に決断力と実行力が加わったものが、胆力のある見識すなわち「胆識」である。さまざまな抵抗や障害を断固として排除し実践していく力量のことである。
「陽明学」では胆識は、「事上磨錬」にあるという。物事を実行していく中から磨かれ、身に付くものである。ということである。「伝記」子供らの生きる目標になる。その目標はやがて達成のための実行へつながる。この国の未来のためには、子供らが生き生きと「こんな人間になりたい」と思える教材が必要なのだと思う。
武漢肺炎で不自由な生活を強いられる今こそ、おとなは、子供にとって生きた教材なのだから。おとなは少々やせ我慢をしながら自分を鍛る必要があると思う。
高山曜三