「知足」(足るを知る)

約束をしてもなかなか守れない人がいる。大学で教えていても提出日を守らない。明日は大学の後期授業初日である。
菜根譚に「すべて眼前に来(きた)ることは、足るを知る者には仙境(せんきょう)、足るを知らざる者には凡境(ぼんきょう)なり。」
(慨訳 目の前にあるすべてのことは、満足することを知っている者には理想の世界である。だが満足することを知らない者にとっては、世俗の世界にすぎない。)とある。
なかなか「知足」(足るを知る)となる人はいない。「不足」のことを書き連ねればあっという間に10くらいはかける。満足していることは結構考えてしまう。「知足」の言葉は森鴎外の「高瀬舟」の中で罪人喜助の生活を聞き、役人庄兵衛が自らの生活を振り返る。罪人ではあるが、喜助の足るを知る生活に敬意を持つ。「高瀬舟」は「安楽死」のテーマを持った作品であるが、高校生の私には、「知足」「不足」の方が目からうろこ状態であったのを覚えている。
歳を重ねると経験をし、あまりモノや人間関係には「不足」を口にすることはなくなった。いい意味で「あきらめ」を知った。カッコよく言えば、「諦観」だろう。
しかし、自分の至らなさにいらだつ。まさしく「不足」を感じる。