「実践は腑に落ちる」

「世人は蓮の花を愛して泥を嫌がり、大根を好んで下肥を嫌がる。私はこういう人を半人前という。蓮の花を養うものは泥である。大根を養うものは下肥である。蓮の花や大根は、泥や下肥を好むことこの上なしではないか。世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。これまさに、半人前の見識ではないか。どうして一人前ということができよう」

 

二宮尊徳の言葉は平易で明快だ。言い換えればわかりやすい。国会の党首討論を少し見た。現状を批判し、内閣のみに責任を転嫁する発言に終始している野党の党首。「今ここ」の現実に向き合う政治家の姿ではないように感じる。善かれ悪しかれ実践につながらなければ社会は変わらない。さらに未来につながらない。

 

「樹木を植えて、30年たたなければ材木にはならない。だからこそ後世のために木を植えるのだ。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだとすれば、どうして後世の人のために植えないでよかろうか」こんなことを二宮尊徳は言っている。

 

数年前、ひもろぎ苑に金次郎像を設置するにあたり、二宮尊徳の予備知識を入れないとと思い、本を読んでいると、一つ一つが腑に落ちて小気味よい。実践から得た言葉は、腑に落ちる。

高山陽三