故森信三先生は「私は人間は、第一はどこで生まれたか、第二は両親および家系にどんな特色があるか、第三は習った先生にどういう影響を受けたか。それによって人間は決まるという考えを持っています。」とおっしゃった。
若い時はこの言葉の持つ意味をあまり理解せず、そんなものかと思っていた。ふと20年も前に亡くなった明治38年生まれの祖母のことを思い出した。小学校の頃、台風で大雨が降り私は祖母に「木曽川の堤防切れたらどうなるの」と聞いた。祖母は間髪をいれず「堤防は切れない」と言い切った。「わからんよ」というと祖母はまた間髪をいれず「尾張が危なくなる前に岐阜が切れるから心配ない」と言った。尾張で生まれ育ち生活してきた者の言葉だ。
第二の「両親および家系のどんな特色があるか」は実に大きく人格の形成にかかわる。「おとな塾」は若者や子供に伝える言葉を持つためのおとなになろうと学んでいる。「子どもは人格形成のために学ぶ」と言ったらだれも異論はない。「おとな」は何のために学ぶのか。仕事に必要だから学ぶことも必要だろう。ある程度年齢を重ねてくると、人との交わりの中で人格が磨かれるということもある。
では、知らずしらず子どもや、若者の人格形成に自分の影響があるとすればどうだろう。現に自分の子供には色濃く反映している。それ故、おとなになってから子供や、若者のためにまじめに取り組む勉強があっていいと思う。
第三の「習った先生にどういう影響を受けたか」この言葉は耳に痛い。あるときまでは自分はどんな先生に習ってきたかを考えていたが、50歳を超えたあたりから自分はどんな先生だったのかを振り返る。私は30歳前半から塾をやっているので、学校、塾ともに責任が重い。
「人間の人柄というものは、その人が目下に対する場合の態度、とくに言葉遣いによって分かるものであります。」これも森信三先生の言葉。
高山曜三